益田岩船|未完成の横口式石槨?"石と水の都"飛鳥で巡る、謎の石造物

飛鳥は、水を使った遺跡や不思議な形の石造物が数多く発見されたことから、「石と水の都」と呼ばれます。これらの石造物は遠隔地から運ばれてきた特殊な石材で造られているのではなく、飛鳥の地でふつうに採取される岩石が使われていました。今回は明日香村を巡り、トーナル岩や石英閃緑岩で造られた石造物たちを辿ってみます。

トーナル岩と石英閃緑岩で形成された飛鳥の地盤

飛鳥時代に都の置かれた場所・飛鳥(明日香村)は、奈良盆地の南端に位置します。奈良盆地の南側には竜門山地がそびえていますが、その一峰である高取山(標高583m)からは北側に向けていくつかの丘陵が伸びています。飛鳥の都は、その丘陵の間に形成された小平地の上に築かれました。

飛鳥周辺の地質図|産総研地質調査総合センター「地質図Navi」より(跡ナビ編纂室が編集)

地質図を見ると、高取山から明日香村にかけての一帯はトーナル岩からできていることが分かります。「トーナル岩」という名前はあまり聞いたことがないと思いますが、実は花崗岩の仲間です。「花崗岩」の方は聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。トーナル岩も花崗岩も地下深くでゆっくりと冷え固まったマグマが地表に現れたもので、白地に黒い粒々の入った岩石です。トーナル岩は花崗岩よりもカリ長石という鉱物が少ないという違いがあります。

もう一度地質図で明日香村を見ると、トーナル岩を示すピンク色だけでなく紫色の部分も多くの面積を占めていることが分かります。この紫色は石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)を示しています。見た目は黒地と白地が半々の岩石です。トーナル岩に似ていますが石英という鉱物が少ないのが特徴です。花崗岩~トーナル岩~石英閃緑岩はカリ長石や石英などの鉱物の含有割合の違いによって分類されていますが、見た目で区別するのは困難です。ここでは「飛鳥の地盤はトーナル岩や石英閃緑岩などの花崗岩の仲間でできている」とだけ覚えておいてください。

未完成の横口式石槨・益田岩船

今回の起点は飛鳥駅。駅前を南北に走る国道169号線を高取川に沿って北上します。高取川は西側(左岸)の越智丘陵と東側(右岸)の檜隈丘陵を分断する河川で、これら2つの丘陵には古墳時代末期の古墳が数多く築かれています。少し進むと越智丘陵側に向かう高架が現れるので、そこから白橿町(橿原市)に入り、しばらく住宅地を歩くと益田岩船(ますだのいわふね)に登る入口があります。急な登山道を少し登ると竹藪の中に巨大な岩塊が見えてきますが、これが益田岩船です。

益田岩船■奈良県指定史跡

11m×8m×4.7mの長方体をしていて、天面には約1.5m×1.5m四方の穴が2つ開いています(深さも約1.5m)。側面の上半分は綺麗に磨かれている一方で、下半分には作業途中であるかのような格子状の溝が残っています。この不思議な形状をした益田岩船は、未完成のまま放棄された古墳の石槨だと考えられています。サイコロを転がすイメージで、天面の穴が横を向くように90度回転させてみてください。その状態が正しい向きで、2つの穴から遺体を入れて寝かせる二人用の横穴式石槨なのです。

益田岩船■奈良県指定史跡

格子状の溝は岩塊を平滑に整形する途中のもので、運搬しやすいように岩を削ろうとしていたのでしょう。誰のための石槨を造っていたのかはもちろん不明ですが、作業の途中でここに放置したようです。石材について、案内看板には花崗岩と書かれていますが、より正確には飛鳥の地盤を形成するトーナル岩か石英閃緑岩でしょう。この丘陵上に転がっていたものをその場で加工したのだと思われます。もとの大きさは不明ですが、非常に硬い岩石なので、いまの状態まで整形するのはかなりの重労働だったのではないでしょうか。

益田岩船■奈良県指定史跡

表裏で二面性を持つ石像・猿石

益田岩船の次は、来た道を戻って反対側の檜隈丘陵の方に向かいます。国道まで下ると欽明天皇陵に比定された梅山古墳があり、その隣には欽明天皇の孫にあたる吉備姫王の墓があります。吉備姫王はのちに宝皇女(皇極天皇)と軽皇子(孝徳天皇)を産む重要人物です。

猿石
猿石

墓の傍らには4体の石造物が置かれています。顔と胴体が彫られており、異国風味の独特な表情から猿石と呼ばれています。ここでは表面しかみることができませんが、背面にも別の人面が彫られており、二面性を持つ特殊な形状がなにかを暗示しているのではないかとも考えられています。のちに向かう飛鳥資料館でレプリカを見ることができるので背面もよく観察してみてください。

猿石は石英閃緑岩で造られています。もとは梅山古墳の近くで出土したようで、のちにここに移動させられたそうですが、古墳に関わる石造物なのかどうか、用途は不明なままです。

崩落した古墳の石槨・鬼の俎と雪隠

吉備姫王の墓から東の方に向かうと、「鬼の俎・雪隠」と呼ばれる石造物があります。俎(まないた)の方は約4.5m×2.7mの大きさで厚さ約1mの板状の石造物で、丘陵の中腹にある高台に設置されています。一方で、雪隠(せっちん)の方は高台の下に転がり落ちたような状態のまま展示されています。

鬼の俎
鬼の雪隠

この二つの石造物は古墳の石槨で、もとは俎が底石(床部分)、雪隠が蓋石として合わさった状態で設置されていました。墳丘の盛土が崩落し石槨がむき出しになったあと、雪隠の方が下に移動した(落下した)のでしょう。雪隠は、いま地面に接している部分が横口式石槨の入口に相当し、この状態から田んぼの方に120度くらい回転させると正しい向きになります。

亀にも見える謎の石像・亀石

鬼の俎・雪隠からさらに東に進むと、「亀石前」という交差点にぶつかります。亀石は飛鳥では最も有名な石造物ですが、用途はおろか「亀かどうか、完成物かどうか」も定かではありません。

亀石

用途不明の石造物・酒船石

亀石から県道155号線を東に向かい、飛鳥川を渡ったところは飛鳥の王宮がおかれた場所です。明日香村の村域に含まれる飛鳥駅から亀石までは広い意味では「飛鳥」の範囲に含まれますが、飛鳥時代当時の人々が「飛鳥」と呼んでいたのはもっと狭く、飛鳥川から東側の王宮の周辺だけです。この場所に舒明天皇から天武天皇までの間に4つの王宮が築かれ、「飛鳥の都」が形成されていたのです。

酒船石■国史跡・飛鳥時代

この王宮の東側に飛鳥丘と呼ばれる丘陵があり、その頂上付近に酒船石と呼ばれる石造物が残っています。長辺5.5m×短辺2.3m、厚さ1mの扁平な石造物で、表面には特殊な模様が彫り込まれています。

飛鳥丘全体は斉明天皇が築いた施設の跡であることが分かっており、酒船石もこの施設の一部であることが想定されています。水を使った祭祀かなにかで利用されたのではないかと考えられていますが、詳細は不明です。

参考記事

酒船石遺跡|斉明天皇の祭祀施設か?亀形の導水施設と謎の酒船石

酒船石遺跡は奈良県高市郡にある国史跡。切石が積まれた石垣や酒船石と呼ばれる謎の石造物のほか、亀形石槽を用いた導水施設が発見されました。これらは斉明天皇が築いた祭祀施設の跡だと考えられています。

服属儀式で用いられた装置・須弥山石と石人像

酒船石からバス通りを北上して、最後に飛鳥資料館を見学します。ここでは猿石のレプリカが展示されていて、現地では見学できなかった背面側を観察できるほか、酒船石に水が流れている様子も復元されています。

また館内には、須弥山石と石人像の実物が展示されています。この2つは石神遺跡で出土したもので、飛鳥では亀石に次いで有名な石造物です。石神遺跡は飛鳥宮に隣接する饗宴施設の跡で、この施設で行われた異民族の服属儀式のためにこれらの石造物が造られたようです。

須弥山石|飛鳥資料館■重文・飛鳥時代
石人像|飛鳥資料館■重文・飛鳥時代

須弥山(しゅみせん)とは、仏教の世界観において世界の中心に位置する山のことです。石造物の表面には浮彫があり、須弥山の周囲を巡る七重の山々を表現していると想定されています。石人像は抱き合う男女の老翁を彫ったもので、その表情はどこか異国情緒を漂わせています。

参考記事

水落遺跡|飛鳥時代の時計台跡。日本で最初に時刻を告げた人物は中大兄皇子だった!

水落遺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に中大兄皇子によって築かれた漏剋台の遺跡です。付近からは異民族の服属儀式に用いられた須弥山石や石人像(ともに重文)も出土。中央集権化を図るため、天皇による時間と領土の支配思想を内外に示した場所だと考えられています。

猿石や亀石も含め、これらの石造物は表現力豊かで面白味のある浮彫ですが、細かな作業の伴う「精巧な彫刻作品」ではありません。これは、石材である花崗岩類(厳密にはトーナル岩や石英閃緑岩)が硬いために、彫刻などの精密な加工に向かないからです。花崗岩類の多くは、小ぶりな岩石に精密な加工を施すよりも、大ぶりな岩石を平滑にする方が向いています。今回のルートの途中にある石舞台古墳の石室には飛鳥の地の基盤となっているトーナル岩が使われています。トーナル岩や石英閃緑岩は飛鳥の都にとってとても馴染みのある岩石なのです。

基本情報

  • 指定:奈良県指定史跡「岩船」
  • 住所:奈良県橿原市白橿町
  • 施設:飛鳥資料館(外部サイト)