免ヶ平古墳|川部・高森古墳群と三角縁神獣鏡 Part2
宇佐氏一族の首長の最初の墓として、古墳時代早期の赤塚古墳を見てきました。次に古墳時代前期に築造された免ヶ平古墳を見てみましょう。
免ヶ平古墳
免ヶ平古墳は古墳時代前期、4世紀後半頃に築造されました。現在は後円部しか残っていないため一見すると円墳ですが、もともとは全長50m程の前方後円墳であったことが分かっています。後円部の高さは4m。一部には周濠(空堀)もあったようです。後円部からは2つの埋葬施設が見つかりました。
1つ目の埋葬施設、竪穴式石室の割竹形木棺
5m×1mの石室の中に、割竹形と呼ばれる木棺が安置されていました。割竹形木棺は古墳時代前期を代表する棺の形体で、身分の高い者に使用されたと考えられています。また、銅鏡が2枚、碧玉製の釧(腕輪)が3つ、その他鉄製武器などが副葬されていました。棺形体や副葬品から、免ヶ平古墳の被葬者が首長級の人物であることが想定できます。赤塚古墳被葬者から引き継いだ二代目の人物でしょうか。
2つ目の埋葬施設、箱式石棺
2m×0.5mの石棺が土に直接埋められていました。この棺の中からは女性の人骨が見つかっています。もう一方の木棺に埋葬されていた人物とは夫婦の関係でしょうか。銅鏡が1枚、碧玉製釧が1つ、その他首飾りなどが副葬されていました。
免ヶ平古墳の三角縁神獣鏡
免ヶ平古墳から出土した銅鏡は全部で3枚。その内1枚が三角縁神獣鏡で、同笵鏡が複数枚知られています。
- 三角縁獣文帯三神三獣鏡(1つ目の埋葬施設から出土)
- 斜縁二神二獣鏡(1つ目の埋葬施設から出土)
- 斜縁二神二獣鏡(2つ目の埋葬施設から出土)
長光寺山古墳(山口県)、鶴山丸山古墳(岡山県)、紫金山古墳(大阪府)、出庭亀塚古墳(滋賀県)、野中古墳(岐阜県)、三重県伊勢市内、奈良県内、出土地不明の計8枚です。赤塚古墳の三角縁神獣鏡に比べて、1枚あたりの同笵鏡の枚数が多いというのもありますが、分布が広範囲に広がっているように見えます。この内、紫金山古墳からは10枚の三角縁神獣鏡が出土しており広く同笵鏡を持っています。紫金山古墳の被葬者が各地に配布したのでしょうか。
また、三角縁神獣鏡には「舶載(はくさい)」と「仿製(ぼうせい)」の二種類があり、免ヶ平古墳から出土した三角縁神獣鏡は「仿製」です。
- 舶載:中国(もしくは朝鮮半島)で製作され、日本に輸入された鏡
- 仿製:中国の鏡を模倣して日本で製作された鏡
「舶載」は鏡の本場中国産なので、作りが精巧であるのに対して、「仿製」は、技術の蓄積のない日本産なので品質が良くないと見られています。三角縁神獣鏡が副葬される古墳時代前期の中でも、前半は「舶載」が多く、後半は「仿製」が多くなる傾向があるそうです。しかし、三角縁神獣鏡を巡る「舶載・仿製」問題についても「舶載や仿製などの違いはなくすべて日本製(またはすべて中国製)」という意見があり、今もなお議論されています。
川部・高森古墳群のその後
古墳時代早期に赤塚古墳が、古墳時代前期の4世紀後半に免ヶ平古墳が築かれた後には、5世紀前半に勝福寺古墳が築かれました。続いて、車坂古墳。
続いて角房古墳。最後に、鶴見古墳が6世紀中頃に築かれて、川部・高森古墳群での前方後円墳の築造は終わります。
勝福寺古墳から鶴見古墳までの4基の古墳にも、代々の宇佐氏首長が眠っていると想定されます。鶴見古墳が築造された6世紀は、首長級の地方豪族がヤマト王権から「国造」として指名される国造制が始まる時期で、宇佐氏はそのまま宇佐国造としてこの地域を統治したと見られます。
しかし、6世紀後半、大和から大神氏が新たに赴任して来て宇佐の地を支配します。代々の宇佐一族が氏神として祀っていた比売大神に対して、大神氏は八幡神を祀るようになり、やがて宇佐神宮の宮司の地位を巡って互いに争うようになっていくのです。
基本情報
- 指定:国史跡「川部・高森古墳群」
- 住所:大分県宇佐市高森
- 施設:大分県立歴史博物館(外部サイト)