赤塚古墳|川部・高森古墳群と三角縁神獣鏡 Part1

大分県宇佐市。日本書紀の神話の中にも「菟狭」と表記されて出てきます。この地を治めていた人物は宇佐氏という豪族でした。その一族の墓だと考えられているのが川部・高森古墳群です。

川部・高森古墳群

宇佐市には、駅館川という河川が市域の真ん中を縦断するように流れています。古墳時代、この駅館川下流域では、西側に集落が広がり、東側では丘陵地上に川部・高森古墳群が築かれたようです。古墳群は、古墳時代の初期から末期にかけて築かれた6基の前方後円墳から構成されています。

赤塚古墳

川部・高森古墳群の中で一番最初に築かれた古墳は赤塚古墳です。全国的に見てもかなり早い時期に築かれたとされる代表的な古墳で、「出現期古墳」などとも呼ばれます。全長58m、高さ5mの前方後円墳で、後円部に箱式石棺が埋められていました。幅11m程の周溝(空堀)もあったようです。

墳丘全景
左手が後円部、右手が前方部。
後円部|前方部から撮影
前方部|後円部から撮影

この古墳には、古墳時代に宇佐地域を支配していた人物が眠っていると見られています。赤塚古墳の周辺には20基程度の方形周溝墓も築造されており、首長の一族や首長を支えた近臣の者が眠っていると考えられます。

日本書紀には宇佐にまつわる伝記として、宇佐氏の祖先となる菟狭津彦(うさつひこ)と菟狭津媛(うさつひめ)の兄妹のことが記されています。この兄妹は、九州から大和に向かう神武天皇に飲食を振る舞ってもてなしたとのこと。赤塚古墳に眠っている人物は、この菟狭津彦なのかもしれません。

方形周溝墓群
菟狭津彦の一族や一族を支えた近臣が埋葬されているか。

三角縁神獣鏡

菟狭津彦と神武天皇の逸話から、宇佐氏とヤマト王権との間に早い段階から強い結びつきがあったことが想定されます。赤塚古墳が古墳時代早期に築かれた前方後円墳であることも、ヤマト王権と早くに関係を結んでいたことを示唆しています。そして、赤塚古墳の石棺の中から5枚の三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょうが出土したことが、さらに強い証拠となりました。

赤塚古墳出土三角縁神獣鏡|大分県立歴史博物館(複製)

三角縁神獣鏡は古墳時代早期〜前期の古墳で出土する銅鏡で、古墳の被葬者とヤマト王権との関係性を示す資料として注目されています。この三角縁神獣鏡については議論百出で、定説に至っていない状態。この鏡が作られた場所が中国なのか朝鮮半島なのか日本なのかも未だに決着がついていない、謎だらけ鏡なのです。

この議論の中で「同笵鏡どうはんきょう同型鏡どうがたきょう」というテーマがあります。

  • 同笵鏡:同じ鋳型で作られた鏡の仲間(使い回しの鋳型)
  • 同型鏡:同じ鏡で複数の鋳型を作り、その鋳型で作られた鏡の仲間(使い捨ての鋳型)

同じ鋳型で鏡を作ることから、同笵鏡や同型鏡が出土した古墳同士は強いつながりがあったと考えられています。特に同笵鏡については全国の出土鏡をもとに一覧表が作られており、どの古墳とどの古墳の鏡が同笵関係にあるのか分かっています。赤塚古墳から出土した三角縁神獣鏡の同笵関係を見ていきましょう。

三角縁獣文帯三神三獣鏡A

「さんかくぶちじゅうもんたいさんしんさんじゅうきょう」と読みます。鏡の名称は盤面に彫られている図柄や絵を表しています。この鏡では「中央部分に3人の神様と3頭の幻獣が描かれており、その周りに同じく幻獣を帯状に巡らせた絵が彫られていて、縁が三角形状をしている」ということです。「天王日月」の文字も彫られています。

この鏡の同笵鏡は、京都府の椿井大塚山つばいおおつかやま古墳、福岡県の石塚山古墳、原口古墳、蒲田天神森かまたてんじんもり古墳、御座おんざ1号古墳の5古墳で発見されています。古墳の分布から、大和に近い所から北部九州の首長たちに鏡が配布されたように見えます。椿井大塚山古墳からは32枚の三角縁神獣鏡が出土しており、日本列島に広く同笵鏡が存在することから、この古墳の被葬者が鏡の配布者ではないかと考えられています。

  • 筑紫の首長たちが皆で大和に赴き、そのときに椿井大塚山古墳に眠る人物から鏡の配布を受けた
  • 最も大きな石塚山古墳の首長が大和に赴いて鏡を一括で受け取り、配下の古墳に配布した

などのストーリーが想定されます。

三角縁獣文帯三神三獣鏡B

この鏡は1枚目の鏡と同じ名称です。似たような図柄が彫られていますが、同笵関係ではなく別の種類の鏡です。同笵鏡は、三重県の筒野古墳、滋賀県の岡山古墳、京都府の物集女もずめ町(古墳不明)の3地点で出土しています。1枚目の鏡の分布と少し様子が異なります。同笵鏡の古墳は大和の周辺に分布しており、1枚目で想定したようなパターンとは逆になっています。

三角縁鋸歯文帯四神四獣鏡

さんかくぶちきょしもんたいししんしじゅうきょう。この鏡の同笵鏡は、京都府の椿井大塚山つばいおおつかやま古墳、長宝寺南原ちょうほうじみなみはら古墳、奈良県の桜井茶臼山さくらいちゃうすやま古墳の3古墳から出土しています。この鏡の分布は2枚目の鏡と似ていて、同笵鏡が大和周辺に集中しています。しかし、同笵関係にある古墳は椿井大塚山古墳や桜井茶臼山古墳などの巨大古墳で、2枚目の鏡とも少し様子が違います。

三角縁唐草文帯二神二獣鏡

「さんかくぶちからくさもんたいにしんにじゅうきょう」です。この鏡は、岡山県の鶴山丸山古墳、徳島県の宮谷古墳の2古墳で発見されています。この同笵鏡は瀬戸内海沿岸部の古墳で出土しており、瀬戸内海の航海ルート上を運ばれてきたように見えます。先の4枚とはやはり分布傾向が異なっています。

三角縁波文帯盤龍鏡

「さんかくぶちはもんたいばんりゅうきょう」です。最後の5枚目は同笵鏡がなく、赤塚古墳だけです。他の古墳で見つかっていないだけなのか、同笵鏡が作られなかったのか、どちらなのかは分かりません。しかし、この鏡は赤塚古墳の棺の中で、被葬者の頭の近くに置かれていた唯一の鏡であったとのことで、他の4枚とは異なる扱われ方をしていたようです。特別な意味が込められているのかもしれません。

宇佐氏とヤマト王権の関係性

三角縁神獣鏡の同笵関については、

  • 各地域の首長たちが参向してヤマト王権から配布を受けた
  • ある地域の大首長が一括してヤマト王権から配布を受け、関係のある小首長に配布された
  • 大和地方で生産され、広く流通したものを自由に入手できた

など説があり、様々に議論されています。赤塚古墳の同笵鏡を1枚ずつ見てみると、どれも正しい説のように思えます。今後の研究成果が期待されるところです。

赤塚古墳に眠る被葬者は、宇佐の地を支配した有力者で、ヤマト王権との結びつきも示唆されます。日本書紀に記された菟狭津彦も単なる伝説ではなく、実在した人物なのかもしれません。少なくともモデルとなった人物がいたのではないでしょうか。この人物はやがてヤマト政権のもとで宇佐国造として地域を治めるようになっていきます。

では次に、川部・高森古墳群の中で、赤塚古墳に続いて築造された免ヶ平めんがひら古墳を見てみましょう。

基本情報

  • 指定:国史跡「川部・高森古墳群」
  • 住所:大分県宇佐市高森
  • 施設:大分県立歴史博物館(外部サイト)