石清尾山古墳群|古墳時代前期の積石塚を歩く

古墳時代前期は、畿内で誕生した前方後円墳が各地に浸透していく一方で、地域によっては独特な墳墓を築き続ける時代でもありました。讃岐に築かれた石清尾山古墳群をとおして、積石塚という地域色豊かな古墳を見ていきます。

石清尾山

石清尾山(いわせおやま)は北側を瀬戸内海に面する独立丘陵で、浄願寺山(標高240m)、峰山(標高232m)、稲荷山(166m)の三山からなっています。最も北側に位置する峰山では、古墳時代前期に集中的に古墳が築かれたあと、中期に一旦断絶し、古墳時代後期に再び古墳が築造されはじめました。

峰山の石清尾山古墳群|Google Earth(跡ナビ編纂室編集)

後期に築かれた古墳は一般的な土盛りによる古墳ですが、前期の古墳は石を積んで築いた積石塚と呼ばれる特殊な古墳です。この積石塚は、丘陵表面に露出した安山岩を材料にして峰山の尾根伝いに点々と築かれました。今回は、古墳時代前期に築かれた積石塚による古墳を、石清尾山の登山ルートに沿って辿ってみます。

石清尾山古墳群

北大塚西古墳・北大塚古墳・北大塚東古墳

峰山の尾根は、最北端にある頂上から南に向かって走り、摺鉢谷と呼ばれる谷部を囲うように東へ向きを変えた後、再び北を向いて麓へ下っていきます。その終点である最も低いところに3基の古墳が築かれました。

峰山の東側尾根|峰山第ニ駐車場から撮影
尾根に沿って点々と積石の古墳が築かれている。

北大塚古墳は全長40mの前方後円墳で、後円部の上からは瀬戸内海を臨むことができます。無造作に積まれた石塊にしか見えませんが、当時は垂直に石を積んで段を形成しており、土器が並べられたテラス(段の平坦面)もあったと考えらていれます。

北大塚古墳|前方部から後円部を撮影
峰山東側の眺望|北大塚古墳墳頂から東側を撮影

北大塚古墳と接するように築かれた北大塚西古墳と北大塚東古墳。北大塚西古墳は全長19mの前方後円墳で、北大塚東古墳は一辺10mの方墳と見られていますが、現在は墳形も明瞭ではなく、もはや石の小山にしか見えません。これら3基は古墳時代前期のうちでも後半に築かれたものだと考えられています。

北大塚西古墳|前方部から後円部を撮影
北大塚東古墳|南側から撮影

鏡塚古墳

尾根を辿って南に向かうと、鏡塚古墳があります。全国的にも例の少ない双方中円墳で、全長70m。その形状から、北大塚3基よりも古く、古墳時代前期の前半、それもかなり早い段階に築造されたと考えられています。鏡が出土したという伝承からこの名称が付けられたそうですが、現物はありません。

鏡塚古墳|南側突出部から円丘部を撮影
鏡塚古墳|北側突出部から円丘部を撮影

石船塚古墳

そのまま南に向かうと石船塚古墳があります。全長57mの前方後円墳。後円部には2つの埋葬部が確認されており、一つは中央に配置された刳抜式石棺1基。棺身と蓋が並んで残っています。雨水が溜まって見えませんでしたが、棺身には遺体を安置するための枕が彫り込まれているとのこと。もう一基は竪穴式石室で、中には朱が撒かれた痕跡も残っているようです。

石船塚古墳|前方部から後円部を撮影
石船塚古墳の刳抜式石棺
石船塚古墳の竪穴式石室

小塚古墳

南に少し下ると小塚古墳です。全長17mの前方後円墳とのことですが、墳形は不明瞭で、積み石もはっきりしません。

小塚古墳
摺鉢谷|小塚古墳から西側を撮影
谷を挟んで対面には西側の尾根が見える。

姫塚古墳

ここからは車道に沿って登り、姫塚古墳へ。全長34mの前方後円墳。首長の娘が眠っているとされる伝承が残るほか、鏡などの副葬品があったとも伝わりますが、詳しいことはわかっていません。

姫塚古墳|前方部隅から撮影
右手が後円部、右手が前方部。

猫塚古墳

車道を西に向かうと、古墳群の中で最大の猫塚古墳に到着します。鏡塚古墳と同じ双方中円墳で、全長98m。墳頂から瀬戸内海を臨むことができますが、その立地から、海側よりも東の平野側を意識して築かれたのかもしれません。

猫塚古墳|南側突出部から円丘部を撮影
猫塚古墳|南側突出部から円丘部を撮影
峰山西側の眺望|猫塚古墳墳頂から西側を撮影

明治時代に大規模な盗掘にあったため、円丘部は陥没しており原形をとどめていません。複数の竪穴式石室があったと推定されていますが、正確に発見されているのは1基のみで、現在は埋め戻されています。

猫塚古墳円丘部の陥没

盗掘の際に出土した副葬品のいくつかは警察に届けられ、現在は東京国立博物館に所蔵されています。これらの遺物から、猫塚古墳の築造年代は古墳時代前期の前半で、中でも古いものだと想定されています。しかし、遺物のすべてが猫塚古墳から出土したものなのか実のところ疑わしいとのことで、築造年代の特定には注意を要するようです。

猫塚古墳出土物|ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
左から内行花文鏡、斜縁四獣鏡、銘帯鏡、浮彫式獣帯鏡、三角縁三神三獣鏡。
猫塚古墳出土物|ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
左上から銅槍先、筒形銅器、石釧、鉄鑿、鉄鏃、銅鏃、広口壺。

このほか、立入禁止のエリアに鶴尾神社4号墳という積石の前方後円墳が知られています。この古墳は、古墳時代の初期に築かれたとされる「出現期古墳」のひとつで、前方後円墳の祖型になったとも言われています。出土した鏡が東京国立博物館に収蔵されています。

石清尾山古墳群の意味

積石による古墳は、大室古墳群(長野県)や相島古墳群(福岡県)など各地に見られます。しかし、これらは古墳時代後期の築造で、古墳時代前期である石清尾山古墳群とは時期が異なります。後期の積石古墳は朝鮮半島からの渡来系移民がもたらしたものだと考えられており、前期の石清尾山古墳群とは直接のつながりはないようです。石清尾山古墳群は、弥生時代の集石墓からのつながりが想定されていたりしますが、結論は出ていません。

古墳時代前期は規格化された前方後円墳が畿内から列島全域に浸透していく時期と言われますが、石清尾山のように独特な古墳を築く地域もあり、古墳時代前期を前方後円墳(後方墳)の時代だと画一的に論じることは難しいようです。

石清尾山古墳群を歩いてみると、形状は前方後円形と言えても、そもそも古墳と言って良いのか、実感を持てないままでした。このような独特な墳丘を築き続けた地域は、列島の中でどういう位置づけにあったのか、そして畿内の王権とどのような関係性にあったのか。それらしいストーリーに納得してしまいつつも、「空白の4世紀」を抱える古墳時代前期の難しさを感じます。

基本情報

  • 指定:国史跡「石清尾山古墳群」
  • 住所:香川県高松市宮脇町
  • 施設:高松市歴史資料館(外部リンク)