平安宮跡|大極殿と内裏はどこにあった?現在の京都で平安京の痕跡を辿る
794年に桓武天皇が遷都して千年の都となった平安京。その中心である平安宮の場所は、いまでは道路が突き抜け、民家や店舗が立ち並んでいるため、十分な発掘調査が行われておらず分かっていないことも多いのが現状。しかし、わずかに出土している遺構を辿っていけば、平安京や平安宮の姿を垣間見ることができるかもしれません。今回は、京都の路地を歩きながら平安京の痕跡を探索してみます。
平安京の表玄関"羅城門"
平安宮に向かう前に、まずは都の表玄関である羅城門へ。JR京都駅から南西方向へ2km、徒歩30分程度の場所に羅城門(らじょうもん)が建っていました。羅城門跡に相当する唐橋羅城門公園内には「羅城門遺址」の石碑がありますが、周辺は民家で囲まれているため、残念ながら当時の雰囲気に浸ることはできません。
平安時代の羅城門は幅35.5m、奥行10m・高さ22mの二重門だったと想定されています。5~6階建のビルに相当する高さです。ここから北に向けてまっすぐ朱雀大路が走っており、はるか先に小さく平安宮応天門が見えていたことでしょう。朱雀大路の幅は84mと言われているので、壮大な景観が広がっていたに違いありません。
いまは民家が遮っていて当時の景観を窺い知ることもできませんが、ここから東の方を見やるとわずかに東寺の五重塔が頭を見せています。東寺は創建時から現在までその位置を変えていないので、平安時代に羅城門をくぐった人々はこの距離感で五重塔を見ていました。
さて、羅城門から京内に入ったあとは、いったん京都駅に戻って地下鉄で平安宮跡に向かいます。京都駅横のメルパルク京都の正面には、平安遷都1200年を記念して製作された羅城門復元模型が展示されていますので、ぜひご覧ください。
天皇のプライベート庭園"神泉苑"
京都駅から地下鉄で二条城前駅へ、次に向かうは平安時代の禁苑「神泉苑(しんせんえん)」です。最寄りは3番出口ですが、いったん逆方向の1番出口側に向かい、構内に設置された神泉苑に関する展示スペースを見ておきましょう。地下鉄工事に伴って出土した神泉苑の船着き場の復元遺構のほか、神泉苑内に建立されていた宮殿の瓦などが展示されています。
展示内の説明にあるとおり、神泉苑は平安宮の南東部分に接するように造営された、天皇のための庭園。二条大路と三条大路に挟まれた、南北約500m・東西約250mの巨大な苑池です。苑内には大池、泉、小川、小山、森林などが造営されていました。平安京への遷都を実現した桓武天皇は神泉苑がお気に入りだったようで、何度も行幸し水鳥や鹿を放って遊んだり宴を催したとのこと。嵯峨天皇や淳和天皇をはじめ、歴代の天皇がここで花見や釣りなどの遊宴を楽しみました。
神泉苑には枯れることのない湧泉があったとされていますが、二条城建築の際に、この水源が城の南堀に取り込まれてしまい、庭園自体も当時の16分の1に削平され、現在の姿になりました。いまの神泉苑では平安時代の天皇が鷹や鹿を放って遊んだ様子を想像することは難しいですが、平安時代の重要な遺構であり、最古の禁苑として国史跡に指定されています。真言密教の開祖・空海ともゆかりがあり、現在は東寺真言宗の寺院になっています。
王宮の正門"朱雀門・応天門"
神泉苑から御池通りを西に向かうと、南北に走る千本通りにぶつかります。この通りが平安時代の朱雀大路に重なります。ちょうど交差点から北側を見れば、朱雀門(すざくもん)が目の前に建っていたことでしょう。千本通り東側歩道には朱雀門跡の説明板があります。朱雀門と羅城門はほぼ同じ設計規格だったと考えられているので、京都駅前で見た羅城門復元模型と同様の宮城門が建っていました。
朱雀門をくぐって千本通り沿いに北上すると、次に応天門(おうてんもん)があります。朱雀門と応天門の間は広場になっており、大祓などの儀礼が行われたとのことです。平安神宮の神門は平安宮応天門を模して建立されたものです。
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平安時代の霞が関"曹司"
応天門の奥には朝堂院が広がっていますが、ここではいったん右に折れて二条中学校裏の路地に入り、曹司と呼ばれる官庁街を見ていきます。ちょうどこの通りには、右手に式部省、左手に民部省の役所が並んでいました。
式部省は人事を統括する官司です。いまも昔も人事部は重要な組織で、長官である式部卿には親王の中でも特に政治への見識の深い者が就任しています。一方、民部省は財政を担う官司。中央財政を管掌する主計寮や地方財政を管掌する主税寮などの機関がありました。荘園が拡大した平安時代には荘園制にも深く関わってくる官司です。このあたりから「主税」銘の器も出土しています。
二条城の西堀に突き当たったところから美福通りに沿って北上すると、ちょうど二条児童公園のあたりが宮内省です。宮内省は宮中の庶務を司る官司。宮廷の日常生活に必要な備品や道具などを作っており、宴などで振る舞う酒を製造する造酒司、天皇のための食事をつくる内膳司など、様々な機関を持っていました。
この角で左折して郁芳通りを西に進み再び千本通りの方に向かいましょう。左手には太政官曹司がありました。太政官はすべての省を管轄する上位組織であり、政策の意思決定を行う機関です。平安時代前期にはこの建物の中で公卿による聴政が行われていました。
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宮内最大の儀式空間"朝堂院"
千本通りに戻ると、そこは朝庭の真ん中。ここから北を眺めれば朝堂院(ちょうどういん)の正殿たる大極殿(だいごくでん)がありました。ちょうど千本丸太町の交差点の北側辺りが大極殿のあった場所で、交差点の周囲には大極殿の説明板が立っています。元日朝賀などの公的な儀式では、天皇が大極殿に出御し、朝庭に整然と居並ぶ上級官人から拝礼を受けました。
平安神宮の外拝殿は大極殿を模した建築です。院政期の史料をもとに考証したものなので一層の平屋として復元されていますが、平安時代前期には二層の建物だったことがのちに分かりました。
日本一格式の高い宴会場"豊楽院"
千本通りを渡り、旧丸太町通りを西に進むと、フェンスに囲われた豊楽院(ぶらくいん)の遺構が。公の政務や儀式が行われた朝堂院に対して、豊楽院では節会などの公式の饗宴が行われました。
朝堂院と同様に正殿があり、正殿の後ろには天皇の控えの間である後殿があり、それらを回廊が取り囲んでいました。正殿を豊楽殿(ぶらくでん)、後殿を清暑堂(せいしょどう)と呼びます。
地上に掘り出された遺構は、この豊楽殿の北西部分と清暑堂の南西部分、そしてこられをつなぐ渡り廊下である北廊です。ここからは、平安宮を象徴する緑釉瓦のほか、鴟尾の一部や垂木先飾金具が出土しました。
少し西に歩くと、平安京創生館という施設があり、豊楽殿の復元模型が展示されています。ちなみに、平安京創生館は造酒司跡に建っています。ここで作られた酒が、豊楽院での饗宴で振る舞われたのかもしれません。
平安京創生館の目玉は、1000分の1スケールの平安京復元模型です。模型でありながら、東西11m、南北10mの巨大さを誇ります。平安宮内はもちろん、京内の町の様子や京外の寺院も丁寧に再現されています。大きな模型なので近づいて見ることのできない部分もありますが、当時の都の規模感を実感できます。平安宮探索には欠かすことができない重要な施設です。
天皇の日常生活の場所"内裏"
平安京創生館の展示を楽しんだら、次は内裏(だいり)へ。丸太町通りを東に進み、千本丸太町の交差点に戻ります。途中、大極殿の後殿である小安殿のあたりには内野児童公園があります。公園の中には「大極殿蹟址」と彫られた立派な石碑がありますが、これは昭和の時代に大極殿跡に比定された名残。その後、ここよりやや南側の千本丸太町の交差点あたりが大極殿跡であることが発掘によって判明したことは上述のとおりです。ちなみに、「内野」という名称の由来は、平安時代末期以降、朝堂院が廃れ荒野になってしまっていたためとのこと。
さて、千本通りを少しだけ北にのぼったところを右折して細い路地を二条城北小学校の方に進みます。この通りの左手は内裏の外郭に相当します。内裏外郭は築地塀が取り囲んでいました。当時の面影は全くないので、京都御所の築地塀を想像して歩きます。
浄福寺通りに突き当ったら、北側が建礼門。内裏の正面玄関にあたる門です。
浄福寺通りを北に向かって承明門跡を通過した後、下立売通りを西に折れます。右手の酒屋のあたりが紫宸殿の跡。見過ごしてしまいそうですが、店の壁面に説明板が貼られています。紫宸殿は内裏の正殿です。平安時代前期には、天皇は紫宸殿で政務を見ており、主だった儀式も紫宸殿の南庭で執り行われるようになっていきました。京都御所の紫宸殿は、平安時代の様式で建築されています。
さらに西に向かうと、内裏の内郭築地回廊に当たります。回廊の基壇と河原石を敷き詰めた雨落溝の遺構が見つかっており、国の史跡に指定されています。ここから北へ20分程歩いたところにある京都市考古資料館で発見された遺構の一部を復元展示しているので、様子がよく分かります。他にも豊楽殿で出土した重要文化財が展示されているので、時間と体力に余裕があればぜひ見学してみてください。
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国営公園として大規模な復元が進む平城宮と違って、市街化された平安宮では建築物の復元はもちろんのこと発掘調査さえも困難です。それでも、歴史学者・考古学者・自治体文化財職員の方々の地道な研究や調査によって平安宮の様子はかなりのところまで分かってきました。復元模型・再現建築・展示施設などを駆使しながら地表に現れ出ている史跡や遺跡を辿ってみると、平安時代の空気を少しだけ感じることができました。