カリンバ遺跡|恵庭市郷土資料館で見る、縄文時代晩期の装身具

縄文時代の装身具

装身具の歴史は古くからあり、縄文時代にはすでに装身具をつけていた人々がいました。縄文時代早期の遺跡からは、シカの角で造られた腰飾り、貝製の腕飾りや首飾り、滑石製の耳飾りなどが出土しています。縄文時代前期の遺跡からは漆塗りの櫛も出土しています。この時期の朱色の漆工品はすでに見事な光沢を持っており、現在の漆工技術と遜色ないものであるといいます。

縄文時代中期には、翡翠や琥珀を用いた装身具も増加していきます。翡翠は新潟県姫川流域を原産地とするものが東日本を中心に発見されており、広い範囲に流通していたようです。琥珀の原産地は千葉県銚子市や岩手県久慈市などが知られています。縄文時代中期の人々は、これら特定地域の原石に価値を見出しており、それらを装身具に加工していたのです。

この時期の装身具は、大規模集落における墓域の中でも特に中心部の墓穴から出土する傾向があります。埋葬された人が生前に装着していたか、遺体とともに副葬されたのでしょう。墓域の中央に埋葬された人物ということは、その集落の中で「特別な人」だったことが想定されます。装身具は「特別な人」が身につける威信材のようなものになっていたのでしょうか。

縄文時代後期の遺跡になると、出土する装身具の数が非常に増えていきます。それらの出土事例からは、

  • 新生児からすでに装着している。ただし、首飾りと腕飾りのみ。
  • 壮年期と熟年期が最も多く、老年期になる少なくなる。耳飾りは大人のみが装着。
  • 男性は頭飾りと腰飾りが多く、イノシシの犬歯やシカの角など動物製のものが多い。
  • 女性は腕飾りが多く、貝製のものが多い。

などの傾向が現れてくるそうです。このように装身具の装着傾向が現れるということは社会の多様化や複雑化を示しているとされ、縄文時代後期は単純な社会ではなかったことが分かります。

縄文後期の遺跡の中でも、装身具が大量に出土したのが北海道のカリンバ遺跡です。大量の装身具を伴う土坑墓群が発見され、「縄文時代で最も豪華な墓」と言われています。縄文時代後期の末、紀元前1000年頃のことです。

カリンバ遺跡

カリンバ遺跡では縄文時代の土坑墓が計309基発見されたが、その中に縄文時代後期末の墓は36基ありました。多くは直径100~130cm程度の小型のものですが、30号・118号・119号・123号の番号を振られた4基は直径165cm以上の大型の墓壙で、特に30号は直径246cmの超大型でした。これら4基の墓壙にはベンガラが厚く撒かれていました。残念がら人骨は発見されませんでしたが、近接した低湿地からは集落跡が見つかり、ここで生活していた人々がこの墓に埋葬されたようです。発見された装身具は、この集落に住まう人々が生前に装着していたものでしょう。

出土した装身具の中で最も多かったのが櫛です。櫛は体部と櫛歯の部分から成っており、その製法から「結歯式竪櫛」と呼ばれます。櫛歯を紐で固定した後に、植物質の粉と漆の液を混ぜた塑形材を塗布し、紋様をくり抜いて体部を形成します。仕上げに赤色顔料を混ぜた漆液を何度も塗り重ね、最後に発色の良い朱漆を表面に塗布して完成。出土する櫛は、櫛歯が腐敗して残っておらず、体部の漆膜のみです。

次に多いのは腕飾りや髪飾り。これら輪状のものは、樹の皮や草の茎などの植物質を用いて環状の芯をつくり、さらに樹皮を巻いて本体を形成した後、上から漆液を塗布しています。単純な環ではなく一部に装飾も施しています。

装飾の付加は櫛の紋様にも見られますが、特別な意味があったのでしょうか。これらの漆工芸品は、近接する集落内で製作したと想定されています。漆工にはある程度の湿度が必要らしく、集落の立地する低湿地がこれに寄与したと見られています。

また、玉製の腕飾りや首飾りも出土。これら装飾品がどの部位の飾りなのかは、発見時の位置関係をもとに推定を重ねていくようです。装身具としては胸飾りと思われるものや、サメの歯を装飾した腰飾りと想定されるものも出土しました。葬送時に用いたと思われる特殊な形状の土器も合わせて発見されています。

装身具をつけた特別な人

通常、伝統的な未開社会では個人の趣味嗜好で装身具を身につけることはなく、帰属する社会や集団の慣習として装着することが多いと言います。縄文時代においても「かっこいい・かわいい」以外の意味が装身具にはあったと想定されます。具体的な意味としては、

  • 自己の能力の拡張(動物の能力を獲得し、身体能力を増大させる)
  • 婚姻可能であることの提示(生殖可能な年齢になったことを示す)
  • 身体的・心理的保護(魔除けや呪術行為として)
  • 経験の表示(価値あるものを獲得したことそのものを示す)
  • 地位や立場の表示(権威・権力をもつ者のみが装着を許されている)

などが考えられています。またこれらの装身具が満遍なくすべての人に行き渡っているのではなく、特定の墓に偏って出土することから、「特別な人」の存在が示唆されます。カリンバ遺跡においても、装身具は4つの墓穴から特に多く出土していました。この4つの墓穴に眠っていた「特別な人」とはいったいどのような人だったのでしょうか。例えば、

  • 権力をもつ人(集落の長老など)
  • 権威をもつ人(呪術者・シャーマン)
  • 影響力をもつ人(威信材の獲得に成功した人など)
  • 暴力をもつ人(狩猟時のリーダー格)

などが想定されます。また、このような特別な人を上位とする「階層のようなもの」がすでに縄文社会に存在していたのかは議論が続くところです。しかし、縄文後期に発生したこの「階層のようなもの」は一時的なものだったと想定されています。晩期以降の遺跡からは階層の存在を示唆する墓が発見されていないためです。縄文時代に階層社会が発達しなかった理由としては、階層が後代に継続していくほど集落の人口が多くなかったためだと考えられています。もともと小規模な集落であるうえに、集落の離合集散が多かったことが原因です。

縄文時代は複雑化した社会に向けて直線的に進んだ時代ではなく、階層のようなものを生んだり、それが消滅したりと、複雑化や単純化を繰り返した時代でした。本格的な階層社会は、生産経済によって人口が増加する弥生時代から始まります。弥生時代前期以降、特定の墓に装身具や威信材を埋葬される「特別な人」が再び現れ、その傾向は強まり、古墳時代へと続いていくのです。

基本情報

  • 指定:国史跡「カリンバ遺跡」
  • 住所:北海道恵庭市黄金中央
  • 施設:恵庭市郷土資料館(外部サイト)