根室半島チャシ跡群|アイヌ人の謎多き城【道東のチャシを歩く Part2】
釧路から東へ150kmの根室半島は、釧路と同様、チャシ遺跡が濃密に残るエリアです。このうち26カ所のチャシが「根室半島チャシ跡群」として国史跡に指定されています。根室のチャシも謎が多く、築造された目的や年代は分かっていません。今回は、アクセスしやすい2つのチャシを巡ります。
ヲンネモトチャシ跡
根室半島北側の通道道34号線を東に向けて走ると、左手に多くのチャシ跡が残っています。このうちヲンネモトチャシは、半島の先端近くに位置する緩やかな内湾の岬に築かれています。チャシは、岬の先端に造られた小さな区域とその内側に位置する大きな区域から成っていました。この2つの区域は人工的な盛土で造られているそうです。区域間には壕のようなものが掘られており、1.5mほどの高低差があります。
ヲンネモトチャシを始めとする根室半島のチャシの多くは根室海峡に面する半島北側の海岸に築かれており、根室半島に住むアイヌ文化期の人々が漁撈や海上交易を意識していたことがうかがわれます。アイヌ文化期に入る前、根室半島はオホーツク文化が栄えていた地域であり、ヲンネモトチャシのすぐ近くにもオホーツク文化期の竪穴跡が見つかっているそうです。オホーツク文化圏の人々は海獣漁を行い、その毛皮を交易品として扱っていたので、このチャシを造った人々も海に出て、ラッコやオットセイを捕獲していたと思われます。
現在、ヲンネモトチャシが築かれた岬のすぐ内側は漁港になっています。アイヌ文化期にも港があり、ここから海に向かって船が出港していたのではないでしょうか。海風にあたりながらチャシの平場に佇むと、このチャシが航海の安全を祈願して祭祀を行う場に思えました。
ノツカマフチャシ跡
ノツカマフチャシも根室半島北側に築かれたチャシです。ヲンネモトチャシと同様、内湾側に張り出した岬に築かれています。1号の番号を振られたチャシ跡は、M字型の壕によって2つの半円形の区域に分かれています。壕には土橋のようなものが作られており、区域内に入ることができました。すこし離れたところに2号チャシ跡と呼ばれる半円形の区域があり、こちらも壕のようなもので囲われています。
2つのチャシは「根室半島チャシ跡群」として日本100名城にも指定されています。そのため、戦闘に使われる砦のような先入観を持っていましたが、今回見たチャシは壕に囲まれた区域が断崖に面しており、敵に包囲されると海側に逃げ出すことができません。地名でもあるノツカマフは、クナシリ・メナシの戦いに参加したアイヌ人37名が松前藩によって処刑された場所ですが、彼らは処刑までの間、牢に入れられたとのことで、ノツカマフチャシはもしかしたら牢だったのかもしれません。
チャシについては分かっていなことが多いため、正直なところ、歴史を楽しむ上ではかなり難易度の高い史跡でした。しかし、現地で実物を見てみることで、この謎多きチャシの上でアイヌの人々が行っていた「なにか」に少しだけ触れることができました。
基本情報
- 指定:国史跡「根室半島チャシ跡群」
- 住所:北海道根室市温根元、牧の内