古墳時代
メスリ山古墳|初期ヤマト王権の大王墓?玉杖や石釧など多様な石製品が副葬新着!!

メスリ山古墳の歴史と見どころ|奈良県桜井市にある国史跡。古墳時代前期に築かれた全長220mの巨大前方後円墳です。墳頂には巨大な円筒埴輪が配置されたほか、玉杖や腕輪などの石製品が豊富に副葬されており、出土品は国重文に指定されています。近くに築造された桜井茶臼山古墳(全長200m)とともに、ヤマト王権の大王の墓か、周辺を拠点とした有力者などの墓と考えられています。

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鎌倉時代
称名寺|金沢流北条氏の菩提寺。金沢貞顕が経験した鎌倉幕府の最期

称名寺の歴史と見どころ|神奈川県横浜市にある国史跡。鎌倉時代に金沢流北条氏によって創建された律宗寺院です。金沢貞顕のときに庭園など大規模な伽藍が整備されました。金沢北条氏が収集した金沢文庫とともに見つかった古文書には、滅亡に向かう鎌倉幕府の最期が記されていました。

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鎌倉時代
建長寺|北条時頼が建立した禅寺。時宗に継承される得宗専制政治とは?

建長寺の歴史と見どころ|神奈川県鎌倉市にある国史跡。鎌倉時代中期に執権・北条時頼によって建立された禅宗寺院です。初代住持は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆。法堂と仏殿の並びは創建時の趣を残すとともに、蘭渓道隆の作庭と伝わる庭園が復元されています。

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鎌倉時代
鶴岡八幡宮|鎌倉幕府を象徴する神社。源頼朝はなぜ"鎌倉殿"になれたのか?

鶴岡八幡宮の歴史と見どころ|神奈川県鎌倉市にある国史跡。鎌倉時代に源頼朝が現在の地に遷座しました。参道である若宮大路には今でも段葛が残っているほか、境内の西隣には鎌倉殿3代の大倉御所跡があり、その裏手の山には頼朝の墓所とされる法華堂跡があります。

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奈良時代
海龍王寺|奈良時代の諸寺院 平城京で光明皇后ゆかりの寺院を巡る

海龍王寺は奈良県奈良市にあり、光明皇后が創建した奈良時代の寺院です。創建当初の西金堂や五重小塔が現存しています。隣接する皇后宮内に建立された法華寺や春日山山麓に創建された新薬師寺など、奈良市内には光明皇后ゆかりの寺院が多く残っています。

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古墳時代
今市大念寺古墳|国史跡の巨大石室と石棺で想像する、6世紀の出雲王の姿

今市大念寺古墳は島根県出雲市にある国史跡。6世紀前半に築かれた前方後円墳で、出雲西部を統治した王の墓だと見られています。この地位を継承した王たちによってさらに上塩冶築山古墳や上塩冶地蔵山古墳が築かれました。これら3基の古墳は石室に入れ石棺も残存する貴重なもので、特に築山古墳の出土品は重文に指定されています。

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飛鳥時代
牽牛子塚古墳|完全再現!斉明天皇と間人皇女が眠る飛鳥時代の八角墳

牽牛子塚古墳は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に築かれた八角墳です。2つの墓室をもつ横口式石槨が見つかり、斉明天皇と間人皇女が埋葬されていたと考えられています。すぐ傍には大田皇女が埋葬された見られる越塚御門古墳も。現在は当時の状態に再現整備され、飛鳥時代の天皇陵を間近で見ることができます。

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飛鳥時代
益田岩船|未完成の横口式石槨?"石と水の都"飛鳥で巡る、謎の石造物

益田岩船は奈良県橿原市にある県指定史跡。花崗岩類で築かれた飛鳥時代の石造物で、古墳の横口式石槨だと考えられています。飛鳥の地はトーナル岩や石英閃緑岩などの花崗岩の仲間で形成された地形で、これらの岩石を利用した石造物が多数残されています。

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飛鳥時代
水落遺跡|飛鳥時代の時計台跡。日本で最初に時刻を告げたのは中大兄皇子!

水落遺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に中大兄皇子によって築かれた漏剋台の遺跡です。付近からは異民族の服属儀式に用いられた須弥山石や石人像(ともに重文)も出土。中央集権化を図るため、天皇による時間と領土の支配思想を内外に示した場所だと考えられています。

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飛鳥時代
飛鳥寺跡|日本最古の寺院跡。幻の一塔三金堂に仏教受容の苦難を思う。

飛鳥寺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に蘇我馬子によって建立された日本最古の寺院で、一塔三金堂の伽藍配置をとっていました。現本堂に安置された飛鳥大仏は飛鳥寺創建時に造立されたもので、いまも飛鳥時代と同じ位置に鎮座しています。

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飛鳥時代
山田寺跡|飛鳥時代の巨大寺院。創建した蘇我石川麻呂の壮絶な人生とは?

山田寺跡は奈良県桜井市にある特別史跡。飛鳥時代に建立された寺院跡です。中門・塔・金堂が南北に並ぶ伽藍配置が特徴です。発願者である蘇我倉山田石川麻呂は右大臣として政権中枢を担いながらも、中大兄皇子から謀反の嫌疑をかけられ滅亡しました。

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戦国時代
大友氏遺跡|宗麟(義鎮)の館跡庭園。キリシタン大名の壮絶な生涯とは?

大友氏遺跡は大分県大分市にある国史跡。戦国時代に北部九州を支配した大友義鎮(宗麟)の館跡や庭園遺構です。周辺から出土した遺物とともに、戦国期豊後国のキリスト教文化や南蛮貿易の様子を伝えます。

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奈良時代
出雲大社|オオクニヌシはどんな神様?古事記に隠された国譲りの真実

出雲大社は島根県出雲市にある遺跡。オオクニヌシ(オオアナムチ)の神を祀り、古事記の国譲り神話とゆかりのある神社です。奈良時代に出雲大社の神職を務めた出雲国造一族は、風土記の編纂も行いました。

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古墳時代
乗場古墳|筑紫君一族の墓、八女古墳群を歩く【Part2 八女群・吉田小群】

八女古墳群は福岡県八女市にある国史跡。八女丘陵に築かれた岩戸山古墳や乗場古墳などから構成されます。古墳時代中・後期における筑紫君一族ゆかりの古墳群です。

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古墳時代
岡田山1号古墳|"額田部臣"銘の大刀が出土!ヤマト王権の氏姓制・部民制とは?

岡田山1号古墳は島根県松江市にある国史跡。古墳時代後期に築かれた前方後方墳です。「額田部臣」の銘文をもつ大刀が出土しました。この出土品からヤマト政権における氏姓制と部民制の実態が分かってきました。

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古墳時代
神原神社古墳|卑弥呼の鏡が出雲で出土?"景初三年"の三角縁神獣鏡の意味

神原神社古墳は島根県雲南市にある遺跡。古墳時代前期に築かれた方墳の跡です。竪穴式石室とともに、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が出土しました。この鏡は「卑弥呼の鏡」ではないかとも言われています。

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奈良時代
備中国分尼寺|国分寺と国分尼寺の姿とは?吉備路の古代景観

備中国分尼寺は岡山県総社市にある国史跡。奈良時代に建立された寺院跡です。金堂や講堂の礎石によって伽藍配置が明らかになりました。近くの備中国分寺(僧寺)とともに吉備地方の古代景観を形成しています。

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奈良時代
讃岐国分寺跡|聖武天皇が建立した国分寺はどんな寺院だったのか

讃岐国分寺は香川県高松市にある特別史跡。奈良時代に建立された寺院跡です。聖武天皇の詔により建立が開始しました。金堂礎石や七重塔礎石が残っており、発掘によって大規模な僧房跡が明らかとなっています。

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古墳時代
吉備津神社|日本書紀が語る吉備津彦とは?吉備国が強大になった理由

吉備津神社は岡山県岡山市にある遺跡。古墳時代前期に活躍したとされる五十狭芹彦命(吉備津彦)を祀る神社です。室町時代に建立された吉備津造の本殿が現存しています。吉備津彦やその後裔たちについては日本書紀と古事記に記されました。

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飛鳥時代
石城山城|4つの水門が残る古代山城。神籠石は地方豪族が築いたのか?

石城山城(石城山神籠石)は山口県光市の国史跡。飛鳥時代に築かれたと見られる古代山城です。石垣や土塁、唐居敷(門礎石)などが残るものの、いつ誰が何のために築いたのか、謎の多い遺跡です。

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平安時代
興福寺|藤原氏の氏寺。藤原北家が繁栄の礎を築くまでの歴史を追う

興福寺は奈良県奈良市にある国史跡・世界遺産。藤原不比等によって平城京のいまの地に建立された寺院です。藤原家の一族によって伽藍が整備されました。平安時代に藤原北家が繁栄の礎を築くまでの歴史を象徴しています。

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コラム
日本建築|古代の現存建築を巡る【奈良時代編 Part1】

薬師寺東塔、唐招提寺金堂、東大寺正倉院などは奈良時代に建立された現存建物です。修復・改良の度に当時最先端の建築技術が取り入れられたことで、現在まで存続することができました。奈良県奈良市内の現存建築を巡ることで、日本建築の様式を見ていきます。

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安土桃山時代
醍醐寺三宝院|秀吉の晩年と醍醐の花見

醍醐寺三宝院は京都府京都市にある特別史跡・国史跡・世界遺産。安土桃山時代の池泉式庭園が残る寺院です。豊臣秀吉自らが庭園を設計したのほか、伽藍の復興も行いました。晩年の秀吉を象徴するイベント「醍醐の花見」が催された場所です。

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安土桃山時代
北野天満宮|秀吉の京都政策と大茶会

北野天満宮は京都府京都市にある遺跡。安土桃山時代の様式によって再建された本殿・拝殿が残る神社です。天下をほぼ統一した豊臣秀吉は京都の大改造を始め、この場所で北野大茶会を開催しました。

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縄文時代
カリンバ遺跡|恵庭市郷土資料館で見る、縄文時代晩期の装身具

カリンバ遺跡は北海道恵庭市にある国史跡。縄文時代後期の集落・墓地跡です。大きな土坑墓からは漆塗りの髪飾り・腕飾りなど多くの装身具が出土しました。縄文人は高度な漆工技術を持っていただけでなく、複雑な社会構造の中で生活していたことが分かりました。

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