石城山城|史書に記されなかった古代山城【瀬戸内の神籠石 Part2】

神籠石系山城は、誰が、いつ、何のために築城したのか。前回は御所ヶ谷神籠石を通して「斉明天皇が白村江敗戦以前に朝倉宮防衛網の一環で築城した」とする説を見てきました。今回は石城山城を通して、別の説を見ていきます。

列石と神域

列石が神域を囲うものだと捉えられた理由は、列石の確認された多くの山で神社が鎮座していたためです。神籠石の由来ともなった高良山神籠石では高良神社、前回取り上げた御所谷城では景行神社、今回取り上げる石城山城では石城神社といった具合です。特に石城山城では、平安時代の『延喜式』の神名帳に記載された石城神社の境界が列石線と同じだったことも、神域説の根拠となってしまったのです。

石城神社本殿■重文・室町時代
史書に社名が現れるのは平安時代から。本殿は、中国地方の有力守護大名大内政弘による建立。

しかし、この列石が山城の一部であることを証明したのは、ほかでもない石城山城でした。1960年代の二度の調査によって、長大な列石の上には土塁が築かれていること、その土塁が朝鮮半島由来の版築工法によるものだと判明したことで、列石を伴う遺跡全体が古代山城のひとつとして認識されるようになったのでした。

石城山列石
列石の上に版築工法による土塁が築かれていることが分かり、神域説は否定された。

石城山城

石城山城は、山口県光市と田布施町に位置する石城山(標高362m)に築かれた古代山城です。史書に記されていないことから、神籠石系山城に分類されます。山の南側には遠く瀬戸内海が見えますが、現在の平野部分には当時は古柳井水道が通って瀬戸内海とつながっていたため、海面はもっと近くで見えていたようです。この山の8合目あたりで、山頂を囲うように土塁が巡っています。このように、山頂を中央に配して、ぐるりと一周土塁線を巡らせた古代山城は「鉢巻式」と分類されています。

石城山城・瀬戸内海位置図|Google Earth(跡ナビ編纂室編集)
石城山眺望|キャンプ場駐車場近くから撮影

土塁線が谷部を跨ぐ箇所では、水口をともなう石垣(水門)が築かれています。石城山城では、西水門、北水門、東水門、南水門の4つの水門が発見され、水口を形成する石塁が残っています。

西水門
北水門
北水門
南水門

城門は、北側に一つ発見され、東側にもその存在が推定されています。門跡には、唐居敷(門扉の礎石)と見られるものが2つ放置されたまま、いまでは「沓石」と呼ばれています。

北門跡
列石の切れている箇所が出入り口。出入り口の前には石塁が築かれており、懸門構造の名残に見える。
沓石|北門跡すぐ近く
沓石|北門跡から一段登ったところ

「地方豪族・白村江敗戦直後・逃げ城」説

斉明天皇と中大兄皇子が主導した朝鮮半島の出兵には、各地の地方豪族も従軍していたようです。『日本書紀』には、671年に唐より返還された捕虜の中に「筑紫君薩野馬」という人物名が記載されていました。彼は筑紫の豪族である磐井の子孫だと想定されています。また、『日本霊異記』にも、渡海した吉備地方の豪族が百済の僧とともに帰郷し、のちに三谷寺(備後寺町廃寺)を建立したことが記されています。このように、北部九州や瀬戸内地域など西日本の地方豪族が広く招集され、朝鮮半島に出兵したことが想定されています。

白村江の敗戦を経験した地方豪族にとって、唐軍が自分たちの郷里に攻めてきたときにどう戦い、民をどこに避難させどう守るかは喫緊の課題だったのではないでしょうか。おりしも、中大兄皇子の指示のもとに水城や大野城・基肄城・長門の城が築城されつつあり、彼らも似たような山城を築くことにしたのかもしれません。

石城山城が位置する旧熊毛郡は周防国でも有数の古墳地帯。古墳時代前期の柳井茶臼山古墳(前方後円墳・全長80m)から古墳時代末期の後井古墳(円墳・県下最大規模の石室)まで、周防国造の系譜が推定される古墳が分布します。また、石城山城から内陸側の程近いところに小周防(こずおう=古周防)という地名が残っており、周防国造の所在地だったとされています。

この周防国造の系譜を引く豪族が白村江の戦いから帰還し、唐軍が攻めてきたときの逃げ城として石城山城を築いたのかもしれません。神籠石系山城は、彼ら地方豪族が逃げ城として築いた山城だったのではないか、というわけです。地方豪族の山城なので、いちいち国史に記さなかったのでしょう。

石城山城の発掘調査は1960年代に重点的に行われ、そのときに古墳時代と平安時代のものと思われる遺物が出土しているようですが、詳細は不明とのこと。平安時代のものは、石城神社に関わるものと見られています。そのため、「地方豪族・白村江敗戦直後・逃げ城」説も確証には至っていません。つづいて、讃岐城山城をとおして「中大兄皇子・白村江敗戦後・唐軍防衛網の構築」説を見ていきます。

基本情報

  • 指定:国史跡「石城山神籠石」
  • 住所:山口県光市塩田