後期難波宮|聖武天皇が再建した副都。藤原式家との奇妙な関係とは?新着!!
難波宮は大阪府大阪市にある国史跡。2層から成る遺跡で、上層は奈良時代に聖武天皇が築いた後期難波宮の遺構です。独立した大極殿院が特徴で、その中央には巨大な大極殿の基壇跡が復元されています。
宮跡庭園|平城京左京三条二坊にあった離宮庭園と長屋王の邸宅
宮跡庭園は奈良県奈良市にある特別史跡。平城京左京三条二坊六坪にあった離宮庭園の遺構です。奈良時代中期、小川の流路を活かしながら大規模な造成を行い、技巧を凝らした池泉式庭園が整備されました。同坊内では庭園のほか、奈良時代前半の左大臣・長屋王の邸宅跡も発見されています。
有職装束|平安時代の服装を大解説!平安貴族は何を着ていた?
国風化が進んだ平安時代には日本独自の装束が発展しました。男性の正装「束帯」や女性の「女房装束」などを、風俗博物館や源氏物語ミュージアムの展示を通して見ていきます。
法隆寺西院伽藍|実は分かっていない!世界最古の木造建築物はいつ誰が建てた?
法隆寺は奈良県生駒郡にある国史跡・世界遺産。飛鳥時代に建立された西院伽藍は世界最古の木造建築物である金堂や五重塔を擁しています。聖徳太子(厩戸皇子)が創建したとされる若草伽藍を前身とすると言われるも、確かなことは分かっていません。
中宮寺跡|聖徳太子ゆかりの寺院。飛鳥時代には別の場所にあった?
中宮寺跡は奈良県生駒郡にある国史跡。飛鳥時代に厩戸皇子(聖徳太子)が創建したとされる寺院跡です。四天王寺式伽藍配置をとることから、すぐ近くの同じく厩戸皇子が創建した斑鳩寺と同じ頃に建立されたと見られます。中宮寺に伝わる天寿国繍帳には皇子が往生した世界が描かれていました。
本薬師寺跡|平城薬師寺とあわせて観るべし!藤原京に遺る白鳳文化の伽藍跡
本薬師寺跡は奈良県橿原市にある特別史跡。天武天皇が発願し、持統天皇が建立した藤原京寺院です。金堂・東西両塔の土壇や礎石が残っています。平城京に移転する前には行基などの僧侶が法相宗の教学を学びました。
前期難波宮|孝徳天皇の長柄豊碕宮。大阪"難波"で始まる律令国家への第一歩
難波宮跡は大阪府大阪市にある国史跡。2層から成る遺跡で、下層は飛鳥時代に孝徳天皇が築いた難波長柄豊碕宮(前期難波宮)の遺構です。広大な朝庭と14棟の朝堂から成る朝堂院が特徴で、孝徳天皇が目指した律令国家・日本の象徴となりました。
牽牛子塚古墳|完全再現!斉明天皇と間人皇女が眠る飛鳥時代の八角墳
牽牛子塚古墳は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に築かれた八角墳です。2つの墓室をもつ横口式石槨が見つかり、斉明天皇と間人皇女が埋葬されていたと考えられています。すぐ傍には大田皇女が埋葬された見られる越塚御門古墳も。現在は当時の状態に再現整備され、飛鳥時代の天皇陵を間近で見ることができます。
益田岩船|未完成の横口式石槨?"石と水の都"飛鳥で巡る、謎の石造物
益田岩船は奈良県橿原市にある県指定史跡。花崗岩類で築かれた飛鳥時代の石造物で、古墳の横口式石槨だと考えられています。飛鳥の地はトーナル岩や石英閃緑岩などの花崗岩の仲間で形成された地形で、これらの岩石を利用した石造物が多数残されています。
藤原宮跡|"律令国家・日本"を示す王宮跡。史上初の都城はこうして完成した!
藤原宮跡は奈良県橿原市にある特別史跡。飛鳥時代末期に築かれた藤原京の王宮跡です。藤原京は天武天皇と持統天皇によって築かれた史上初の都城で、その中央に朝堂院・大極殿院・内裏などを有する藤原宮が置かれました。持統・文武・元明3代の天皇によって利用されました。
川原寺跡|飛鳥時代の謎の寺院。一塔二金堂の巨大寺院は誰が創建した?
川原寺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に建立された寺院跡です。「一塔二金堂」の伽藍配置で、中金堂礎石に大理石が用いたり仏堂内部を塼仏で装飾するなど特別な造りをしていました。中大兄皇子が母である斉明天皇の冥福を祈って建立したと考えられています。
飛鳥池工房遺跡|最古の鋳造貨幣と天皇号木簡が出土した飛鳥時代の官営工房
飛鳥池工房遺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代の工房跡です。ガラス製品や金・銅などの金属製品の生産が行われたほか、天武天皇の時代には富本銭が鋳造されました。最古の天皇号木簡も出土しています。
水落遺跡|飛鳥時代の時計台跡。日本で最初に時刻を告げた人物は中大兄皇子だった!
水落遺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に中大兄皇子によって築かれた漏剋台の遺跡です。付近からは異民族の服属儀式に用いられた須弥山石や石人像(ともに重文)も出土。中央集権化を図るため、天皇による時間と領土の支配思想を内外に示した場所だと考えられています。
酒船石遺跡|斉明天皇の祭祀施設か?亀形の導水施設と謎の酒船石
酒船石遺跡は奈良県高市郡にある国史跡。切石が積まれた石垣や酒船石と呼ばれる謎の石造物のほか、亀形石槽を用いた導水施設が発見されました。これらは斉明天皇が築いた祭祀施設の跡だと考えられています。
飛鳥宮跡|4つの王宮が重なる場所。飛鳥時代の中心地はここだった!
飛鳥宮跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に築かれた王宮跡です。この場所には岡本宮、板蓋宮、後岡本宮、浄御原宮の4つの王宮が築かれました。このうち後岡本宮の内郭や浄御原宮の東南郭の遺構が見つかっています。
飛鳥寺跡|日本最古の寺院跡。幻の一塔三金堂に仏教受容の苦難を思う。
飛鳥寺跡は奈良県高市郡にある国史跡。飛鳥時代に蘇我馬子によって建立された日本最古の寺院で、一塔三金堂の伽藍配置をとっていました。現本堂に安置された飛鳥大仏は飛鳥寺創建時に造立されたもので、いまも飛鳥時代と同じ位置に鎮座しています。
山田寺跡|飛鳥時代の巨大寺院。創建した蘇我石川麻呂の壮絶な人生とは?
山田寺跡は奈良県桜井市にある特別史跡。飛鳥時代に建立された寺院跡です。中門・塔・金堂が南北に並ぶ伽藍配置が特徴です。発願者である蘇我倉山田石川麻呂は右大臣として政権中枢を担いながらも、中大兄皇子から謀反の嫌疑をかけられ滅亡しました。
文殊院西古墳|阿倍氏ゆかりの地で、7世紀の終末期古墳を巡る
文殊院西古墳は奈良県桜井市にある特別史跡。阿部丘陵に築かれた古墳で、切石造りの精美な横穴式石室を持っています。周辺には谷首古墳や艸墓古墳などもあり、飛鳥時代に築かれた終末期古墳を巡ることができます。
多胡碑|グンジを務める人々の想い【上野三碑を巡る Part3】
多胡碑は群馬県高崎市にある特別史跡。奈良時代に立てられた石碑です。碑文には、上野国多胡郡が711年に建郡された内容が記されており、奈良時代の郡司を務める人々の想いをうかがい知ることができます。
金井沢碑|コオリに住まう人々の想い【上野三碑を巡る Part2】
金井沢碑は群馬県高崎市にある特別史跡。奈良時代に立てられた石碑です。碑文には、上野国群馬郡の三家一族が仏の教えにより繁栄を祈る内容が記されており、奈良時代のコオリ(郡)に住まう人々の想いをうかがい知ることができます。
山上碑|ミヤケにまつわる人々の想い【上野三碑を巡る Part1】
山上碑は群馬県高崎市にある特別史跡。飛鳥時代に立てられた石碑です。碑文には、放光寺の僧・長利が、屯倉(ミヤケ)の管理を担った一族を顕彰する内容が記されており、古墳時代のミヤケ制度に関わる人々の想いをうかがい知ることができます。
出雲国府跡|風土記に記された古代地方都市の景観
出雲国府跡は島根県出雲市にある国史跡。奈良時代に整備された政庁跡です。近くには出雲国山代郷遺跡郡や出雲国分寺跡なども立地しています。周辺の遺跡を辿っていけば、奈良時代における地方都市の様子を垣間見ることができます。
出雲大社|オオクニヌシ?オオアナムチ?古事記と風土記に隠された国譲りの真実。
出雲大社は島根県出雲市にある遺跡。オオクニヌシ(オオアナムチ)の神を祀り、古事記の国譲り神話とゆかりのある神社です。奈良時代に出雲大社の神職を務めた出雲国造一族は、風土記の編纂も行いました。
鴻臚館跡|古代の迎賓館跡。日本の外交政策は平安時代を境にどう変わったか?
鴻臚館跡は福岡県福岡市にある国史跡。平安時代の外交拠点跡です。海外との貿易交渉に使われたと見られる建物の遺構が残っており、唐や新羅の陶磁器が出土しています。ここで国家による統制のもと民間貿易が行われました。
備中国分尼寺|国分寺が伝える吉備地方の古代景観
備中国分尼寺は岡山県総社市にある国史跡。奈良時代に建立された寺院跡です。金堂や講堂の礎石によって伽藍配置が明らかになりました。近くの備中国分寺(僧寺)とともに吉備地方の古代景観を形成しています。