薬師寺|南都六宗の寺院で学ぶ、奈良時代の仏教史【Part1 法相宗】

500年代半ばに日本に伝来した仏教は飛鳥時代をとおして天皇家や有力豪族に広がり、飛鳥の地には多くの寺院が建立されました。奈良時代に入ると、仏教は鎮護国家の役割を強く担うようになり、戒律の制度が確立しました。また、仏典や教理を学ぶ宗派が成立し隆盛を極めていきます。これら奈良時代の宗派は後に南都六宗と呼ばれました。六宗のうち今に残る三宗を通して、奈良時代の仏教を見ていきます。

南都六宗

南都六宗とは、平城京で栄えた法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗、三論宗、成実宗の6つの宗派のことです。当時の「宗」は「衆」とも表記され、仏教の教理を学ぶ集団。宗派というよりも学派に近い存在でした。奈良時代の寺院は複数の宗派の僧侶たちを擁し、彼らは寺内に研究所を設けて互いに教義を学び合っていたのです。

東塔■国宝・奈良時代
中門入って右手に佇む仏塔。数少ない奈良時代の現存建築。

とはいえ、最新の法典や優秀な僧侶を抱える寺院には多くの僧侶が集まり、特定の宗派で研究が蓄積されてくると、各寺院は強みとなる宗派を持ち始めます。やがて各寺院から傑出した僧侶を輩出し出すと、各宗派ごとに中心となる寺院が定まっていきました。法相宗は薬師寺と興福寺、華厳宗は東大寺、律宗は唐招提寺を中心に隆盛を誇りました。これら三宗は現在も宗派として存続しています。

法相宗

現存する南都六宗のひとつ法相宗では、唯識という考え方を根本教義とし、人が世の中の現象をどのように捉えているのかについて探求が進められました。唯識とは「唯(ただ)、識(こころ)のみ」と読み、「すべての現象には実体がなく、人の心の作用によって成り立っている」という考え方です。法相宗では、このような心の作用を探求することで執着や煩悩を滅却し、悟りに近づこうとします。

西塔
中門入って左手に佇む仏塔。1981年に奈良時代の様式で再建された。

唯識の考え方は500年代にインドで興りました。600年代に入って唐僧である玄奘によって中国に伝えられ、弟子の基が引き継ぎ、法相宗として体系化したとされます。玄奘は『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルとなった人物です。

この法相宗における唯識の考え方を日本に持ち込んだのは、道昭という法興寺(=飛鳥寺)の僧侶でした。道昭は、中国に渡って玄奘のもとで唯識の考え方を学び、日本に戻って広く普及させます。その後、複数の遣唐使たちが確立された法相宗を日本に持ち帰り、教義の研究を深めて行きました。

薬師寺

法相宗の中心寺院である薬師寺は、天武天皇による勅願寺として680年代に藤原京で創建されました。藤原京には文武天皇が完成させた大官大寺もあり、薬師寺とともに藤原京の二大寺院だったのです。この他、道昭が学んだ法興寺も藤原京内に立地していました。後に東大寺の大仏造立に深く関わる行基は、法興寺で道昭に師事して法相宗を学び、のちに薬師寺に移ります。道昭も行基も、困窮者の支援や橋・溜池の建設など社会事業に力を入れ、広く民衆の指示を獲得した僧侶です。

710年、都は藤原京から平城京へと移り、それにともなって藤原京の寺院も次々と平城京に移転していきます。薬師寺は718年に右京六条二坊の地に移転され、730年頃に伽藍が完成。北は五条大路、南は六条大路、西は二坊大路、東は秋篠川に囲まれた広大な敷地を有していました。

平城京|奈良市役所(模型1/1000)
右下から真っ直ぐ伸びる大路が朱雀大路。左下の広大な寺院が薬師寺。

平城京の薬師寺は、藤原京での伽藍配置を踏襲して建てられました。現在、中門から左右に伸びる回廊は、東塔・西塔・金堂を囲み、講堂で再び合流する設計になっています。この伽藍は、薬師寺式と呼ばれ、藤原京薬師寺とほぼ同じ設計だったことが分かっています。回廊だけは単廊から複廊に変更されており、新しい都に相応しい佇まいとなったようです。

回廊
1995年に復元された回廊は奥側の講堂へとつながる。手前の建物は金堂。

古くから、建物や本尊は藤原京から移されたのか(移建・移坐説)、平城京のために新たに造られたのか(非移建・非移坐説)が議論されてきました。近年の研究成果では、建物については非移建説で固まりつつあり、現在の薬師寺(東塔)は平城京のために新たに造営されたものだと考えられています。しかし、金堂本尊の移坐・非移坐についてはまだ決着がついていません。

金堂
1976年の再建。中に祀る本尊は国宝の薬師如来坐像で、その制作年代についてはいまだ定説がない。

時代の流れの中で多くの堂宇を失った薬師寺ですが、現在ではその多くが再建されており、奈良時代当時の伽藍へ復興する試みが進んでいます。現存する東塔のほか、再建された金堂や講堂、西塔が立ち並び、奈良時代の様相を呈しています。これは藤原京時代の薬師寺をも彷彿とさせるもので、薬師寺が藤原京から平城京に移転してきたことを体感できるようになっています。

薬師寺のほかにも、法興寺と大官大寺がそれぞれ元興寺と大安寺と名前を変えて平城京に移転されました。やがて、これら2寺は三論宗の中心寺院となります。奈良時代の仏教は、このように藤原京の大寺院を移転することで始まったのでした。再建された薬師寺の白鳳伽藍にはその様子が現れています。続いて奈良の仏教は、聖武天皇が発願した東大寺と大仏の造営によって大きな転機を迎えることとなります。

基本情報

  • 指定:国史跡「薬師寺旧境内」、世界遺産「古都奈良の文化財」
  • 住所:奈良県奈良市西ノ京町
  • 施設:薬師寺(外部サイト)