前期平城宮|聖武天皇のために築かれた?奈良時代前半の平城宮の姿
平城宮跡は奈良県奈良市にある特別史跡・世界遺産。奈良時代の都・平城京における王宮跡です。中央区では第一次大極殿や大極門が復元されています。この場所(前期平城宮)から奈良時代前半における聖武天皇の歴史が始まりました。
日本建築|復元された古代建築を巡る【奈良時代編 Part2】
平城宮大極殿、薬師寺西塔、興福寺金堂などは現代になって建立された復元建物です。現代の研究水準や建築技術が取り入れられたことで、奈良時代当時の状態に最も近い状態で復元されました。奈良県奈良市内の復元建築を巡ることで、奈良時代の建築物の様子を見ていきます。
日本建築|古代の現存建築を巡る【奈良時代編 Part1】
薬師寺東塔、唐招提寺金堂、東大寺正倉院などは奈良時代に建立された現存建物です。修復・改良の度に当時最先端の建築技術が取り入れられたことで、現在まで存続することができました。奈良県奈良市内の現存建築を巡ることで、日本建築の様式を見ていきます。
根室半島チャシ跡群|アイヌ人の謎多き城【道東のチャシを歩く Part2】
根室半島チャシ跡群は北海道根室市にある国史跡。アイヌ文化期(江戸時代)に築かれたと見られるチャシ跡です。ヲンネモトチャシやノツカマフチャシが残り、アイヌ文化の一端をうかがい知ることができます。
釧路川流域チャシ跡群|アイヌ人の謎多き城【道東のチャシを歩く Part1】
釧路川流域チャシ跡群は北海道釧路市にある国史跡。アイヌ文化期(江戸時代)に築かれたと見られるチャシ跡です。ハルトリチャランケチャシやモシリヤチャシが残り、アイヌ文化の一端をうかがい知ることができます。
平安宮跡|大極殿と内裏はどこ?現代の京都で平安京の痕跡を辿る
平安宮跡は京都府京都市にある国史跡。平安時代の平安京の王宮跡です。内裏や豊楽院の遺構の一部が発見されました。周辺には桓武天皇ら歴代の天皇が愛した神泉苑が残るほか、羅城門や応天門など平安京の痕跡を辿ることができます。
京都御所|復元された紫宸殿・清涼殿で体感!平安貴族の"政務"と"儀式"
京都御所は京都府京都市にある旧内裏。平安宮の紫宸殿と清涼殿が復元されており、当時の様式で忠実に再現されています。平安時代の天皇や貴族たちが行っていた政務や儀式を垣間見ることができます。
長岡宮跡|桓武天皇の最初の王宮。平城京から平安京へ遷都した理由とは?
長岡宮跡は京都府向日市の国史跡。奈良時代末期の長岡京の王宮跡です。朝堂や大極殿の遺構が見つかりました。794年に桓武天皇が平安京へ遷都したため、長岡京はわずか10年で廃都となってしまいます。
大内氏遺跡|義興が築いた庭園と城塞。なぜ戦国時代西国の覇者になれた?
大内氏遺跡は山口県山口市にある国史跡。戦国時代に中国西部から九州北部を支配した大内氏の居館跡です。敷地内で見つかった枯山水庭園や池泉庭園の遺構は、当主・大内義興の栄華を彷彿とさせます。周辺の高嶺山や凌雲寺には城塞が築かれました。
名護屋城|豊臣秀吉の野望と文禄・慶長の役
名護屋城は佐賀県唐津市にある特別史跡。安土桃山時代の文禄・慶長の役に際して豊臣秀吉によって築かれた城跡です。巨大な城郭内に配置された様々な曲輪が秀吉の威勢を示す一方、江戸時代に入って破却された石垣の無惨な姿が秀吉の野望の儚さをも物語っているようです。
大宰府政庁跡|九州の政治拠点"遠の朝廷"に見る、律令制の発展と衰退
太宰府政庁跡は福岡県太宰府市にある特別史跡。飛鳥時代から平安時代にかけて九州に置かれた統治機関の遺構です。奈良時代には荘厳な建物が立ち並んだ政庁も、平安時代に入って衰退を始め、現在の遺構のまま廃絶したと見られています。
大野城跡|大和朝廷の古代山城 基肄城と連動した大宰府の防衛とは?
大野城は福岡県糟屋郡にある特別史跡。飛鳥時代に築かれた山城跡です。大宰府政庁の背後に位置する大野山に築城されました。「百間石垣」などの現代に残る堅牢な石垣からは、白村江敗戦後における大和朝廷の緊張感が伝わります。
水城跡|大宰府の城塞はなぜ造られた?白村江の戦いに敗れた大和朝廷
水城は福岡県太宰府市にある特別史跡。飛鳥時代に築かれた軍事施設の遺構です。大宰府を守るように位置する大規模な土塁からは、白村江敗戦後における大和朝廷の緊張感が伝わります。
平城宮跡|堂々復元!大極殿・朱雀門・東院庭園に奈良時代の天皇の姿を想う
平城宮跡は奈良県奈良市にある特別史跡・世界遺産。奈良時代の王宮跡です。元明、聖武、称徳など代々の天皇がこの場所で政治を執り行いました。大極殿や朱雀門、東院庭園が復元され、奈良時代の空気を味わえる場所になっています。