西谷墳墓群|四隅突出型墳丘墓でつながる出雲のクニと山陰地方
西谷墳墓群は島根県出雲市にある国史跡。弥生時代後期に築かれた墳丘墓です。四隅突出型をしており、非常に大きな規模でした。出雲のクニを治めた王の墓だと見られ、この王を中心とした連携体制が山陰地方に広く形成されていたようです。
荒神谷遺跡|青銅器の祭祀遺跡。出雲で交わる"銅鐸文化"と"銅剣・銅矛文化"
荒神谷遺跡は島根県出雲市にある国史跡。弥生時代中期のものと見られる祭祀遺跡です。集落から程遠い山中で埋納された状態の銅剣(358本)・銅鐸(6個)・銅矛(16本)が出土しました。ここで何らかの青銅器祭祀が行われたと考えられています。
加茂岩倉遺跡|出雲の銅鐸祭祀遺跡。埋納された青銅器は何を意味するのか?
加茂岩倉遺跡は島根県雲南市にある国史跡。弥生時代中期のものと見られる祭祀遺跡です。集落から程遠い山中で埋納された状態の銅鐸が39個出土しました。ここで何らかの青銅器祭祀が行われたと考えられています。
楯築墳丘墓|弥生後期の双方中円墳。古墳時代に受け継がれる儀式の意味とは?
楯築遺跡は岡山県倉敷市にある国史跡。弥生時代後期に築かれた墳丘墓です。立石や弧帯文石が発見され、特殊器台や玉なども出土しました。吉備のクニを支配した首長が埋葬されていると見られます。
吉野ヶ里遺跡|吉野ヶ里歴史公園内の展示施設で見る、吉野ヶ里集落の墓の変遷
吉野ヶ里遺跡は佐賀県神崎郡にある特別史跡。弥生時代をとおして発展を続けた集落跡です。弥生時代前期から中期までの間には多数の墓地が形成され、銅剣や前漢鏡も出土しています。集落の発展とともにどのように墓が変遷したかうかがい知ることができます。
吉野ヶ里遺跡|魏志倭人伝が記した弥生時代後期の倭国のクニについて
吉野ヶ里遺跡は佐賀県神崎郡にある特別史跡。弥生時代後期の大規模な環壕集落跡です。主祭殿と見られる遺構や倉や市の広場跡が発見され、クニの中で拠点となった集落だと想定されています。首長や司祭者、彼らに仕える人々、交易のために訪れる者たち。様々な人がこの集落を行き交っていました。
須玖遺跡|奴国の丘歴史資料館で見る、弥生時代の青銅器の工房
須玖遺跡は福岡県春日市にある遺跡。弥生時代中期に栄えた青銅器の工房跡です。青銅器製作に必要な鋳型や坩堝などが出土しました。この工房での青銅器生産が奴国を大きく発展させたと見られています。
須玖岡本遺跡|大国化を進めた、弥生時代中期後半の奴国王
須玖岡本遺跡は福岡県春日市にある国史跡。弥生時代中期の後半に奴国の領域内で築造された王墓や王族墓の遺跡です。出土した前漢鏡片や装身具からは、奴国の勢力の大きさをうかがい知ることができます。
吉武高木遺跡|福岡市博物館で見る、弥生時代の最古の王墓
吉武高木遺跡は福岡県福岡市にある国史跡。弥生時代中期の初頭に築かれた墓地跡です。銅剣、銅鏡、勾玉が出土した木棺にはこの地域の首長が埋葬されていたと見られ、「最古の王墓」とも呼ばれています。
御床松原遺跡|志摩歴史資料館で見る、弥生時代の港湾集落
御床松原遺跡は福岡県糸島市にある遺跡。縄文時代から古墳時代まで続く集落跡です。縄文時代に漁労で栄えた後、弥生時代には港湾集落として発展し、伊都国の繁栄を支えたと見られています。
三雲・井原遺跡|伊都国歴史博物館で見る、伊都国を治めた王たちの墓
三雲・井原遺跡は福岡県糸島市にある国史跡。弥生時代中期後半から後期前半の間に築造された2つの墓の遺跡です。伊都国を治めた王たちの墓だと見られています。出土した前漢鏡や金銅製飾金具などの副葬品は伊都国歴史博物館で展示されています。
平原遺跡|出土品から想像する、平原王墓に眠る伊都国女王の姿
平原遺跡は福岡県糸島市にある国史跡。弥生時代後期に築かれたと見られる墳丘墓の遺跡です。銅鏡などの出土品はすべて国宝。装身具が多く副葬されていたことから女性の墓だと推定されていて、伊都国を治めた女王が眠っていたと見られています。
新町遺跡|人骨が語る弥生時代早期。弥生文化はどのように受け入れられたか?
新町遺跡は福岡県糸島市にある国史跡。朝鮮半島から伝わった新しい墓制「支石墓」の遺跡です。この墓から出土した人骨は縄文人の特徴をもっていました。新しい文化を積極的に受け入れようとする縄文人の姿を映し出しています。
板付遺跡|稲作が定着した弥生時代の環濠集落
板付遺跡は福岡県福岡市にある国史跡。稲作が定着した弥生時代前期の環濠集落跡です。弥生時代前期の水田跡の下層からさらに古い水田跡が見つかり、弥生時代観を塗り替えたことでも有名です。