石塚山古墳|ヤマト王権によって築かれた?出土した三角縁神獣鏡が語る事
石塚山古墳は福岡県京都郡にある国史跡。古墳時代前期の前方後円墳です。7枚の三角縁神獣鏡や小札革綴冑の小札辺が出土しました。九州の豊前地方とヤマト王権との関係性を示す重要な古墳です。
岩戸山古墳|筑紫君磐井の墓?ヤマト政権の下で磐井の乱が起きた理由
岩戸山古墳は福岡県八女市にある国史跡。八女丘陵に築かれた古墳時代後期の前方後円墳です。石人石馬などの石製表飾が出土しました。継体天皇の時代に「磐井の乱」を起こした筑紫君磐井の墓だと言われています。
免ヶ平古墳|三角縁神獣鏡は日本製?川部・高森古墳群が語る事
川部・高森古墳群は大分県宇佐市にある国史跡。古墳時代前期に築かれた免ヶ平古墳などから構成されています。出土した三角縁神獣鏡から、地方豪族宇佐氏とヤマト王権との強い関係性が示唆されます。
赤塚古墳|三角縁神獣鏡はどう配布された?川部・高森古墳群が語る事
川部・高森古墳群は大分県宇佐市にある国史跡。古墳時代早期に築造された赤塚古墳などから構成されています。出土した5枚の三角縁神獣鏡から、地方豪族宇佐氏とヤマト王権との強い関係性が示唆されます。
宇佐神宮|宇佐八幡宮神託事件の真相。道鏡は天皇位を狙っていたのか?
宇佐神宮(境内)は大分県宇佐市にある国史跡。古墳時代に創建された神社で、奈良時代に入ってから朝廷とのつながりが強くなりました。道鏡が引き起こした八幡宮神託事件ゆかりの場所です。
須玖岡本遺跡|弥生時代中期の王墓 後に金印を賜与された奴国の王族たち
須玖岡本遺跡は福岡県春日市にある国史跡。弥生時代中期の後半に奴国の領域内で築造された王墓や王族墓の遺跡です。出土した前漢鏡片や装身具からは、奴国の勢力の大きさをうかがい知ることができます。
吉武高木遺跡|福岡市博物館で見る、弥生時代の最古の王墓
吉武高木遺跡は福岡県福岡市にある国史跡。弥生時代中期の初頭に築かれた墓地跡です。銅剣、銅鏡、勾玉が出土した木棺にはこの地域の首長が埋葬されていたと見られ、「最古の王墓」とも呼ばれています。
三雲・井原遺跡|伊都国歴史博物館で見る、伊都国を治めた王たちの墓
三雲・井原遺跡は福岡県糸島市にある国史跡。弥生時代中期後半から後期前半の間に築造された2つの墓の遺跡です。伊都国を治めた王たちの墓だと見られています。出土した前漢鏡や金銅製飾金具などの副葬品は伊都国歴史博物館で展示されています。
平原遺跡|王墓の出土品がすべて国宝!伊都国女王はどんな人物だった?
平原遺跡は福岡県糸島市にある国史跡。弥生時代後期に築かれたと見られる墳丘墓の遺跡です。銅鏡などの出土品はすべて国宝。装身具が多く副葬されていたことから女性の墓だと推定されていて、伊都国を治めた女王が眠っていたと見られています。
新町遺跡|人骨が語る弥生時代早期 弥生文化を受け入れた縄文人たち
新町遺跡は福岡県糸島市にある国史跡。朝鮮半島から伝わった新しい墓制「支石墓」の遺跡です。この墓から出土した人骨は縄文人の特徴をもっていました。新しい文化を積極的に受け入れようとする縄文人の姿を映し出しています。
箸墓古墳|いつ築造されたのか【卑弥呼の墓説に迫る Part2】
奈良県桜井市の国史跡・陵墓である箸墓古墳の築造年代はいつなのか。箸墓古墳の築造年代に関する3つの説をを概観して、箸墓古墳がいつ築造されたのか考えます。
箸墓古墳|なぜ「最古の巨大古墳」と呼ばれるのか【卑弥呼の墓説に迫る Part1】
奈良県桜井市の国史跡・陵墓である箸墓古墳の築造年代はいつなのか。箸墓古墳の周辺に分布する10基の前方後円墳を概観し、箸墓古墳が「最古の巨大古墳」と呼ばれる理由を解説します。
板付遺跡|弥生時代の水田跡 稲作が定着した弥生時代前期の環濠集落
板付遺跡は福岡県福岡市にある国史跡。稲作が定着した弥生時代前期の環濠集落跡です。弥生時代前期の水田跡の下層からさらに古い水田跡が見つかり、弥生時代観を塗り替えたことでも有名です。
箸墓古墳|国道沿いの巨大前方後円墳は卑弥呼のお墓!?
箸墓古墳は奈良県桜井市にある国史跡及び陵墓です。全長280mの前方後円墳で、最初の「巨大古墳」と言われています。「卑弥呼の墓」との声もありますが、被葬者や築造年代については今なお謎のままです。