岩宿遺跡|岩宿博物館で見る、日本列島における旧石器の変遷
岩宿遺跡は群馬県みどり市にある国史跡。後期旧石器時代の遺跡です。ここで発見された石器によって日本にも旧石器時代があったことが証明されました。
長者ヶ原遺跡|縄文時代のヒスイの原郷。全国のヒスイ製品はこの集落で作られた!?
長者ヶ原遺跡は新潟県糸魚川市にある国史跡。姫川流域の丘陵上に形成された縄文時代中期の環状集落です。ヒスイ製玉の工房集落で、ここで製作された玉は列島全域に流通しました。
笹山遺跡|縄文土器の最高傑作・火焔型土器が産み出された背景とは。
笹山遺跡は新潟県十日町市にある市指定の史跡。信濃川の河岸段丘上に形成された縄文時代中期の環状集落跡です。出土した火焔型土器(国宝)などから、縄文人の豊かな精神性をうかがい知ることができます。
荒神谷遺跡|青銅器の祭祀遺跡。出雲で交わる"銅鐸文化"と"銅剣・銅矛文化"
荒神谷遺跡は島根県出雲市にある国史跡。弥生時代中期のものと見られる祭祀遺跡です。集落から程遠い山中で埋納された状態の銅剣(358本)・銅鐸(6個)・銅矛(16本)が出土しました。ここで何らかの青銅器祭祀が行われたと考えられています。
加茂岩倉遺跡|出雲の銅鐸祭祀遺跡。埋納された青銅器は何を意味するのか?
加茂岩倉遺跡は島根県雲南市にある国史跡。弥生時代中期のものと見られる祭祀遺跡です。集落から程遠い山中で埋納された状態の銅鐸が39個出土しました。ここで何らかの青銅器祭祀が行われたと考えられています。
北斗遺跡|擦文時代における道東釧路の集落
北斗遺跡は北海道釧路市にある国史跡。釧路湿原を臨む丘陵上に築かれた擦文文化期(鎌倉時代)の集落跡です。方形の縦穴を特徴とする住居跡がくぼみとして残り、ヨシ葺きの建屋が復元されています。捕獲したサケやオオワシを商品とし本州の人々と交易を行いました。
カリカリウス遺跡|オホーツク文化の内陸化とトビニタイ文化
カリカリウス遺跡は北海道標津町にある国史跡。オホーツク文化期(平安時代)の集落跡です。海から1km離れた内陸部にオホーツク文化の特徴を持った住居群が形成されています。内陸に移動してきたオホーツク文化人はやがて擦文文化と交わり、トビニタイ文化という新たな文化圏を形成しました。
田染荘|現代に残る鎌倉時代の荘園風景
田染荘は大分県豊後高田市にある重要文化的景観。現在まで残る鎌倉時代の荘園景観です。台地上の集落を囲うように田が広がり、田の区画は当時の痕跡を残しています。周辺には富貴寺や真木大堂など荘園ゆかりの寺院が建立されました。
吉野ヶ里遺跡|魏志倭人伝が記した弥生時代後期の倭国のクニについて
吉野ヶ里遺跡は佐賀県神崎郡にある特別史跡。弥生時代後期の大規模な環壕集落跡です。主祭殿と見られる遺構や倉や市の広場跡が発見され、クニの中で拠点となった集落だと想定されています。首長や司祭者、彼らに仕える人々、交易のために訪れる者たち。様々な人がこの集落を行き交っていました。
船迫窯跡|地方の「瓦」生産の実態とは?豊前国を事例に。
船迫窯跡は福岡県築上郡にある国史跡。奈良時代の操業された瓦生産の工房・窯跡です。近傍には豊前国分寺や豊前国府があり、ここで生産された瓦が供給されたと見られています。
須玖遺跡|奴国の丘歴史資料館で見る、弥生時代の青銅器の工房
須玖遺跡は福岡県春日市にある遺跡。弥生時代中期に栄えた青銅器の工房跡です。青銅器製作に必要な鋳型や坩堝などが出土しました。この工房での青銅器生産が奴国を大きく発展させたと見られています。
御床松原遺跡|志摩歴史資料館で見る、弥生時代の港湾集落
御床松原遺跡は福岡県糸島市にある遺跡。縄文時代から古墳時代まで続く集落跡です。縄文時代に漁労で栄えた後、弥生時代には港湾集落として発展し、伊都国の繁栄を支えたと見られています。
板付遺跡|稲作が定着した弥生時代の環濠集落
板付遺跡は福岡県福岡市にある国史跡。稲作が定着した弥生時代前期の環濠集落跡です。弥生時代前期の水田跡の下層からさらに古い水田跡が見つかり、弥生時代観を塗り替えたことでも有名です。